陳琴さんの吟誦『撃鼓』

陳琴老師的吟誦《撃鼓》

『撃鼓』(詩経・国風邶風)(日中バイリンガル詩吟 第46作)

《撃鼓》(詩經・國風邶風)(中日雙語吟誦第46作)

『撃鼓』(詩経・国風邶風)(日中バイリンガル詩吟 第46作)

 詩経第1巻の周南、第2巻の召南は、周王朝創業の基礎を定めた周公と召公によるものとされている。また、第3巻邶風第4巻鄘風第5巻衛風は、理由は明らかではないが、3巻とも衛の国の詩とされている。

  詩經第一卷周南、第二卷的召南,被認為是由奠定周王朝創業基礎的周公和召公。 另外,第3卷邶風第4卷鄘風第5卷衛風,理由不明確,但3卷都被認為是衛之國的詩。

 この『撃鼓』は、古注、新注とも、従軍兵士の歌として、左伝の記録、紀元前720年の衛の簒奪者州吁による陳と宋にも出兵を勧告しての鄭への軍事行動に結びつけている。しかし、白川静博士は、不一致点が多いとして、清代考証学の説、この詩においては、姚際恒の説を採用し、左伝の記録、紀元前597年の宋が陳を攻撃し、衛が陳を助けた時にあたるとしている。姚際恒については、その著述が、従来説を覆すものだったこともあり、多くの著述が四庫全書に採用されなかったとのことだ。白川静博士の全ての研究がそうであるが、詩経学においてもそうした書籍にまで調査を広めていることがわかった。

  這首《擊鼓》與古注、新注都作為從軍阿兵哥的歌曲,與左傳的記錄、西元前720年衛的篡奪者州籲勸告陳和宋出兵的對鄭的軍事行動相結合。 但是,白川靜博士認為,不一致點很多,在清代考證學的說法,這首詩中,採用了姚際恒的說法,相當於左傳的記錄,西元前597年的宋攻擊陳,衛幫助陳的時候。 至於姚際恒,其著述,也曾顛覆了以往的說法,很多著述都沒有被四庫全書採用。 白川靜博士的所有研究都是這樣,但在詩經學中也將調查推廣到了這樣的書籍中。

 また歌われている内容が、1・2章が出陣して南方に取り残された兵士の労苦と不安。3章以下が消息の絶え果てた夫を悼む婦人の哀傷で、3章は夫の戦死のさまの追憶、4章は偕老を契った誓言を思い起こして嘆き、5章はその誓言が空しくなったことを悲傷するものとなっている。劇的であり、堂上の宴飲の楽詩として演奏され、演出による変改が加えられたであろうと推定している。男女互唱も考えられるとしている。私の作品においても、Vocaloid6のMichelleとLucasの男女デュエット形式にしてみた。

  另外,演唱的內容是1、2章出陣後留在南方的阿兵哥的勞苦和不安。 第3章以下是悼念失去消息的丈夫的婦人的哀傷,第3章是丈夫戰死的回憶,第4章是想起偕老的誓詞而歎息,第5章是因誓詞落空而悲傷的。 戲劇性的,作為堂上宴飲的樂詩演奏,推測是加上了演出的變化。 也可以考慮男女互唱。 在我的作品中,也嘗試了讓Vocaloid6的男女二重唱的形式。

 旋律は、小学校特級教師の陳琴老師による吟誦を採譜させていただきました。
 訳詞としては、白川静訳を最も参考にさせていただいたが、そのまま歌える部分がなく、私の個人訳とさせていただいた。

  旋律採用了小學特級教師陳琴老師的吟誦。

  作為翻譯詞,我最參攷的是白川靜譯,但能直接使用的部分很少,所以作為我的個人翻譯。