中国で『詩経』の吟誦作品を耳にすることが多くなってきたことを受け、日中2か国語詩吟として『詩経』を対象とすることとした。ただ、詩経は四言詩が多く、1字1音の中国語であるから1行4音で歌われた吟誦を、音節数の多くなる漢文訓読による日本語訳で歌うことは困難と判断した。結果的に、少しでも音節数の少ない詩的翻訳を試みたものを採用することとした。

訓読漢文ではない詩的翻訳されたもの

岡田正三譯   全國書房    『詩經』                 1947
目加田誠訳   平凡社     中国古典文学全集第一巻『詩経・楚辞』  1960
目加田誠訳   平凡社     中国古典文学大系15  『詩経・楚辞』   1969
海音寺潮五郎訳 講談社     『詩経』                 1976
白川静訳註   平凡社     東洋文庫518 『詩経国風』         1990
 海音寺潮五郎訳は、各行単位で歌詞としていないものもあり、採用できなかった。

 解釈上参考にした書籍が下記のものである。

訓読漢文による通釈を示したものや解釈する上で参考にしたもの

吉川幸次郎注  岩波書店    中國詩人選集『詩經國風』上・下     1958
橋本循訳    筑摩書房    世界古典文学全集 2   『詩経国風・書経 1969
白川静著作集  平凡社     9『詩経Ⅰ』 10『詩経Ⅱ』
白川静     中央公論社   中国の古代文学
白川静     中公新書    『詩経 中国の古代歌謡』
目加田誠    岩波新書    『新釈 詩経』
目加田誠    講談社学術文庫 『詩経』

 解釈については、『白川静著作集』の9『詩経Ⅰ』 10『詩経Ⅱ』が一番、参考になった。この解釈については、「白川静の詩経学について」として、次のコンテンツにまとめた。

訳詞の採用状況

 2024年8月10日現在、国風から11篇を「日中2か国語詩吟」として発表しているが、その中で歌える訳詞として1行でも利用した訳詞の採用状況は次のようになる。1つの詩に複数の方の訳詞から採用した例もある。各詩篇のページ最下部には、実際の翻訳詩句の入った比較表で採用状況を見てていただけるようにしているので、参考してくださると幸いです。

 日中2か国語詩吟の試みは、中国語吟誦の旋律に合わせた伴奏の上で、日本語訳詞や日本語漢字音でも歌うというものである。上の表は、中国人吟誦家による中国語吟誦の旋律にあわせた伴奏の上で歌える訳詞の採用状況である。どの訳者もこの旋律を聴いた上で訳詞を作られたわけではない。それなのに、訳詞全体100%を採用できたものが2詩(白川静訳1、目加田誠訳1)もあった。白川静訳ではこれまでの平均採用率が4割を超えているし、詩篇としての採用率は11篇中9篇で8割超となる。お二人は、古代歌謡として歌えることも主眼においてアプローチされてきたとはいえ、この結果は驚異的なもので、私自身予想だにできなかった。 平凡社東洋文庫の白川静訳註の「あとがき」で白川博士は次のように述べていらっしゃる。(以下要約と引用交じり)
 詩経を初めて読んだのは大正14年。福井市内の小学校を卒業して大阪の法律事務所に住み込みで働きながら夜学へ通っていた頃で、今の中高生の頃。昭和2年に体調をくずして福井に戻り、近所の老人から詩集を借りて一夏で詩経を筆写した。その後、詩経に関する研究で学位も取得、『詩経』の研究は終生の志業の一つとなった。
 訳注本を刊行することも念頭にあったが、その間、昭和8年に岡田正三訳が出て「論語を経文のように棒読みする音読論者であるこのプラトン哲学の研究者は、このような古典の訳詞にもみごとな才能を示した。古調もよし、また口語訳にもすぐれたものが多く、今も朗誦するに足るものがある。」
 昭和32年に目加田誠訳が出版され、「七五調の柔らかな訳が多かった。」
 昭和49年に海音寺潮五郎訳が発表され「自分の思うままに、ものによって童謡にしたり、俗謡にしたり、狂言・八木節にもする」といった「まことに天衣無縫、その人を思わせるような訳であった。」
 自分(白川博士)も詩経研究の傍ら御自身の訳を準備してきた。「はじめ試みた古調は、時代につれて、次第に口語訳になってしまった。」1990年、「この書を今になって刊行しようとするのは、一おうはそのようなものを用意して、原詩の正確な理解の上に立って、次に詩才のあるかたが、存分にその訳筆を試みられるのがよかろうと、私なりに考えたからであった。」

 どの訳者の訳詞も当て嵌められなかった際に、私の訳詞を当て嵌めたわけだが、次の「白川静の詩経学について」で、博士の解釈に基づいて訳出したり吟誦歌詞を決定したりできたことを述べさせていただく。