中国語吟誦に伴奏をつけ、ほぼその旋律に沿った日本語訓読や日本語漢字音での歌も加えてYoutube等に発表しています。このサイトは、そのまとめサイトとして作ってみました。
在中文吟誦上加上伴奏,還加上了幾乎按照那個旋律的日語譯文和日語漢字音的吟誦,在Youtube等上發表。 這個網站試著作為那個總結網站製作了。
このページでは、日中2か国語詩吟として取組の変遷について理解していただける資料を載せました。
在這一頁,作為中日雙語吟誦,刊登了可以理解工作變遷的資料。
まず、3例(左に元の中国人の吟誦、右に私のバイリンガル詩吟)を挙げました。伝承吟誦の採譜から伴奏付け等の作品づくりの作業の流れを想像していただけるように しました。
首先,下面列舉了3例(左為原中國人吟誦,右為我的雙語吟誦)。把從傳承吟誦的樂譜製作到伴奏製作的工作過程可以想像出。
中国語伝承吟誦
日中2か国語詩吟
第 3 作『 贈汪倫 』
華鋒さんによる東北吟誦調『贈汪倫』「进入哔哩哔哩观看」をクリック
李 白 乘 舟 将 欲 行 (Lǐ Bó chéng zhōu jiāng yù xíng)
忽 闻 岸 上 踏 歌 声 (hū wén àn shàng tà gē shēng)
桃 花 潭 水 深 千 尺 (Táo huā tán shuǐ shēn qiān chǐ)
不 及 汪 伦 送 我 情 (bù jí Wāng Lún sòng wǒ qíng)
徐一楊という11歳のお嬢さんのこの吟誦調での吟誦動画を見ることもでき、採譜が容易でした。
第 14 作『客至』
古琴を弾じながら『客至』を
子どもたちと吟誦する楊芬さん
北京大学の楊芬さんは、福建省福州の陳炳錚さんの同じく琴を弾じながらの吟誦調を引き継いでいらっしゃり、音程や拍子が非常にとりやすい上に、たくさんの作品を発表されています。私も彼女の録音のおかげで8首を日中2か国語詩吟にすることができました。
第 2 6 作 『登鸛鵲楼』
吟誦について、少しずつ理解を深めてきたつもりです。詩吟、吟詠、吟唱など、私の中でも統一せずに使ってきました。吟誦は、最近の中国で吟誦教育が話題になり、この語彙がかなり利用されるようになったので使わせていただいています。また、詩吟は、旋律としてはかなり違いますが、日本人にはわかりやすいかもしれないと、このサイトタイトルに利用しています。
關於吟誦,我打算一點點加深理解。 詩吟、吟詠、吟唱等,在這個網站裡也沒有統一使用。 吟誦在最近的中國,因為吟誦教育成為話題,這個詞彙被廣泛利用,所以請允許我使用。 另外,日本詩吟雖然旋律有很大的不同,但是日本人可能很容易理解,所以使用了這個網站標題。
声調のある中国語という言語で歌うということに不思議な思いを持ってきました。中国語を学習する中では、歌では声調は無視してもいいと教えられ、実際に、現代では、音楽優先になっています。しかし、民謡や伝承の中での歌は、聞いて理解しやすいように歌われてこそ、聞く人たちの理解を得るものであることは、とても自然なことです。平仄などの規則も、曲にあわせるため、歌詞の並べ方に制限が起きたのではないかと理解しています。
用有聲調的中文這個語言唱歌,我感到很不可思議。 在學習漢語中,老師告訴我們,在歌曲中可以忽略聲調,實際上,在現代,音樂是優先的。 但是,民謠和傳承中的歌曲,只有聽著容易理解,才能得到聽的人的理解,這是非常自然的事情。 我理解平仄等的規則,為了配合曲子,歌詞的排列方法也發生了限制。
それにしても、このページトップで紹介したような聞き取りやすい吟誦にはなかなかめぐりあえません。下に紹介する葉嘉莹さんの講義によると、吟誦はパーソナルなものなのかもしれません。
即便如此,像在這一頁的最上面介紹的那樣容易聽懂的誦讀是很難遇到的。 根據下麵介紹的葉嘉瑩的講義,她認為誦讀是個人的。
北京混乱の軍閥時代1924年、士大夫階級の家に生まれた葉嘉莹さんは、「中国最後の『スカートをはいた士大夫』」と呼ばれています。混乱の中、台湾やカナダなどに移り住みましたが、中国を愛し、カナダ籍華人として中国に戻り、中国国内の古典文学研究等のために尽力されました。
在北京混亂的軍閥時代1924年,出生於士大夫階級家庭的葉嘉瑩,被稱為“中國最後一位‘穿裙子的士大夫’”。 在混亂中,移居臺灣和加拿大等地,熱愛中國,作為加拿大籍華人回到中國,為中國國內的古典文學研究等盡力了。
彼女は、この『古典詩歌の吟誦と教学』という講演の中で、幼少期のことも振り返っていらっしゃいます。多くの方言に残されている入声のない北京語環境の中、さらには士大夫という特殊な家庭環境の中、識字教育がなされた2・3歳の頃から、古典韻の平上去入の区別が教えられたとおっしゃっています。ただ、教育は論語などを使ってであって、詩などは生活の中で家族が吟誦されているものを聞いて学んだのだそうです。
她在這篇名為《古典詩歌的吟咏與教學》的演講中,也回顧了童年。 他說,在眾多方言中沒有入聲的北京話環境中,甚至在士大夫這一特殊的家庭環境中,從進行識字教育的2、3歲開始,就教給了古典韻平上去入的區別。 只是,教育是使用論語等,詩等是聽生活中家人吟誦的東西學習的。
しかし、台湾やカナダの大学で古典文学を教えていたときも、詩の講義の中で吟誦はなさらなかったそうです。お父さんたちは大きな声で吟誦していたが、お母さんたちは控えめに吟誦していたという当時の男女の違いにも影響されていたのでしょうか、吟誦はパフォーマンスとしてするものではなく、『書経』に「詩は志を言い、歌は言を永くし、声は永きに依り、律は声に和す。」とあるように、それぞれの人が、各字の平仄を吟じて心を表現するのだとおっしゃっています。同じ詩でも、おとうさんとおじさん、おかあさんとおばさんの吟誦がみんな違っていたとおっしゃっています。彼女自身も高齢になり今まで以上に披露したくはないが、古典詩詞を鑑賞する人が少なくなっている現状の中で、この吟誦と教学という講義をお引き受けになったのではないかと推察します。
但是,據說在臺灣和加拿大的大學教古典文學的時候,在詩的授課中也沒有吟誦過。 或許是受當時男女差异的影響,爸爸們大聲吟誦,而媽媽們卻低調吟誦,吟誦並不是作為一種表演,而是在《書經》中寫道:“詩說志,歌說永,聲依永,律和聲。” 像這樣,每個人都說要吟誦每個字的平仄來表達自己的心。 即使是同一首詩,也說爸爸、叔叔、媽媽和阿姨的吟誦都不一樣。 她自己也年紀大了,不想比以前更公開,但在欣賞古典詩詞的人越來越少的現狀下,我推測她接受了這個吟誦和教學的課程。
それでも、様々な吟誦に伴奏を加えていくと、ジャズ調、ハードロック調、ラテン調など、様々な音楽に変わっていきました。日本語書き下しになると、どうしても冗長になり、これはどうしても当て嵌まらないというものにも、ラップ調で切り抜けるなど、おもしろい試みになっていると思います。どうぞ、日中2か国語詩吟をご視聴ください。
儘管如此,在各種各樣的吟誦中加入伴奏的話,變成了爵士樂調、硬搖滾調、拉丁調等各種各樣的音樂。 如果是日語譯文的話,無論如何都會變得冗長,對於無論如何都無法適用的東西,也會用說唱音樂來擺脫,這是一次有趣的嘗試。 請觀看中日雙語吟誦。